ひとり瞑想のリスク

Jul 30, 2022

 最近では瞑想も少しずつ日本でも広がりを見せ、アプリやYoutubeなどで瞑想を始めている方が増えました。多くの人たちが気軽に瞑想に触れるようになることは、とてもいいことだと思います。しかし、独りだけで瞑想の練習の続けることはあまりお勧めできません。私たちの伝統でも、瞑想の実践をひとりで孤独に続けることは瞑想の練習の弊害になると言われます。一人で座る練習が最も大事ですが、一人だけでやり続けると問題が出るのが瞑想なのです。

 瞑想とは、心を見ていく作業です。瞑想の練習の過程では、楽しい思い出に限らず、自分の過去の後悔、将来の不安、今現在のイライラなどもがたくさんあらわれます、むしろそれらこそが瞑想の扱う大切な素材とも言えます。そのため、瞑想の練習の初期段階では、不安やイライラ、怒りの強い感情に出会った時に、適切に処置していかが大切です。

 そもそも不安や恐怖や怒りは、実体がない単なる思考や感情に過ぎず、放っておけば自然に消えるものです。さらに、思考や感情は、ランダムに浮かんだ思考の種を、私たちのエゴ(自我)が勝手に理由や解釈を加えて発達させ、強固させた結果の産物です。要するに思考に囚われたり、感情を煽っているのは単に自分に過ぎないのです。しかし、私たちは激しい感情や不安をまさに現実の出来事のように捉えがちです。体が緊張したり、涙が出たりして、実体のないはずの感情のリアリティを感じてしまいます。伝統的では、こうした反応は「心のゲップ」と呼ばれるようなもので、本来大騒ぎする必要はないものです。

 しかし、瞑想を適切に学んでいないと、ここの部分がよく経験できませんし、わかりません。『実際に不安を感じているのだから、なんとかしないと!』とその心の処理に躍起になります。もっとその感情を細かに分析してみたり、日記につけてみたり、その感情と相対してじっと我慢して耐える訓練をしてみるなど、不安や感情と大まじめに向き合い始めてしまいます。思考や感情を過度に分析したり記憶することは、エゴ(自我)の基盤に乗って、先入観や概念、偏見と言われる自分の思考パターンをより強固に、重たくして、それがまるでリアルであるように思い込むようになるだけです。妄想を自力で具現化してる努力をしてしまっているのです。

 独りだけで瞑想を続けると、こうした心の迷路にはまり、どんどん心を重く・固くしてしまうリスクがあります。また、独りで瞑想をすると、テクニックを誤解して、瞑想の正しい効果が出ない場合や、場合によっては、心が怪我をするリスクがあります。さらに独りで瞑想をして気がついた心の動きがあると、それを独りで処理すべく心を捻じ曲げてしまう可能性が少なくありません。これがエゴ(自我)の一つの基本的な作用だからです。エゴは自分の存在を守るために嘘をつきます。物事をいいように解釈、編集をして事実や感じていることを捻じ曲げてしまうのです。

 瞑想をしていて、奇行に走ったり、人付き合いができない変人になってしまうことがありますが、これは、瞑想のよって自分のエゴ(我)を強化して、ある特定の概念なり思い込みを強化してしまった結果による、瞑想の失敗例の代表的なものです。本来、瞑想を続ければ、本来の心の質を磨き、エゴをすり減らすことで、思いやりや優しさ持って、より多くの人と知性と良識を持って関われるようになるはずです。 

 伝統的に言われ続けているこうした瞑想の罠にかからないための唯一の方法は、自分の先生を持つこと、そして練習仲間とコミュニケーションすることです。瞑想には適切なテクニックの運用のために指導者(先生)が必要ですし、その上で見えてきた心のありようをシェアする相手、練習仲間が必要です。

 アプリなどで手軽に瞑想ができるようになりましたが、便利で手軽になった反面、こうしたリスクにさらされるメディテーション・ビギナーも少なくありません。もちろん、お家で独りで練習を積むことは、継続した練習を確立する為の瞑想実践の基盤であることは間違いありません。しかし、独りだけで練習をされている方は、定期的に指導者に見てもらうことと、練習仲間と経験をシェアする機会と場所も揃えるように、瞑想の練習環境を整えることをおすすめします。そうした環境整備が、瞑想の練習をより健全で安全なものにしてくれます。egomania(エゴマニア)にならない唯一の方法予防策はこれしかないというのが、この2600年の伝統の中での現在の見解なのです。