読むロジョン / スローガン15

トンレン瞑想 ロジョン Apr 12, 2022
読むロジョン / スローガン15

Slogan 15
Four practices are the best methods.
4つのプラクティスは最善の方法 (1) 


 今回のスローガンは、『世の中が悪に満ちているときは、すべての災いを菩提の道に変換する』というスローガン11から始まった、自分の人生で起きるあらゆることを心のトレーニングへ持ち込むことを目指すポイント3のスローガン群の最後のものです。伝統的には「人生のさまざまな困難を、悟りの道に変えるため」と言いますが、その為の特別な4つのプラクティスがあります。このスローガン15『4つのプラクティスは最善の方法』はそのことを指します。

具体的には4つのプラクティスとは、以下のものです。

①功徳を積む
②悪行を捨てる
③ドンを供養する
④ダルマパラを供養する

 ①、②はなんとなくわかるかもしれませんが、③のドンとか④のダルマパラなどは全く意味不明ですね?このスローガン15で指示されているそれぞれのプラクティスには大切な意味がありますので、このブログでも4回にわたって個別に紹介をしていこうと思います。今回はまず①の「功徳を積む」ことに関して説明していこうと思います。ドンやダルマパラはまた追って紹介していきますので、とりあえず今回は、放っておきましょう!

 「功徳」というと、日本の昔話に慣れている私たちは、お地蔵さんにお供えをするとか、人助けするといった、何か良いことをするというイメージを持ちますね。確かにそうした行為も含まれてはいますが、このスローガンで言われる「功徳」とは、自分のエゴに満足を与えないということです。自分のエゴに如何に乗らずに物事を素直に捉えることで、世界の本来の姿と関わることとも言えます。

 毎日の生活の中で、私たちは常に快適で楽しいものを求める傾向にあります。しかし、そうした『心地よさ』は一時的なものに過ぎず、結果として得られるのは、いつも苦痛や不安です。なぜかというと、そもそも喜びや快楽を求めるという行為そのものが苦痛や不安、混乱をもたらす主たる原因になるからです。私達の日常では、多くの場合このことを無視して、間違ったスタート地点から人生の諸問題を取り組んでしまいがちです。

 物事との向き合いを初手から間違わないようにするには、起こっていることに対しての期待や不安のどちらにも偏らずに、ありのままに物事を受け止める力が必要です。メディテーションやこのロジョンの実践を通してこの「ありのままを観る」力をしっかり身につける為には、日々の練習や日常起こるどのようなことでも、「受け入れて委ねる」姿勢が重要です。たとえそれが悪い結果であろうと恐れずに受け止める心構えがを持つのです。ちょっとハードそうに聞こえますよね?実際にこうしたプラクティスを実践する私たちも、頻繁に挫けてしまいます。

 そこで、こうした心構えを持つために、伝統的に『励ますための3行』とか『3つのリマインダー』と呼ばれるものがあります。それは、

 もし私が病気になった方が良いなら、私を病気にしてください。
 もし私が生き延びる方が良いなら、私を生き延びさせてください。
 もし私が死んだ方が良いなら、私を死なせてください。

 というリマンダーです。これが功徳を積むときの究極の考え方・姿勢だと言われます。功徳を得る為には、まず心を開き、そして与え、身を委ねるという心持ちを育む必要があります。

 『私が病気になった方が良いなら、私を病気にしてください』というのは、ただ物事を成り行きに任せて、何が起こっても感謝するということです。快楽や苦痛を求めているのではなく、単にそのままにしておくことです。とてもシンプルに目の前の現実と向き合っている態度を指します。そしてさらにもう一歩踏み込んだ実践になると、何かに不安を感じたらその不安に飛び込み、何かに執着していたらその欲望を手放すことするようにしていきます。まさに常にトンレンを実践するわけです。ちょっとクレイジーに思えますが、ロジョンを続けている皆さんには、こうした考え方に違和感が少なくなっているのではないでしょうか?実際このアプローチは、心のトレーニングにおいて非常に効果があります。

 功徳を積める時というのは、自分自身、すなわちエゴの活動を全て手放して、目の前の状況に対して完全に開放的でいる状態のことです。自分のエゴのために何かの活動をするのではなく、目の前の現実とシンプルにコミュニケーションしている時ことを指すのです。世界の「本質」とアクセスしてる時とも言えるかもしれません。チョギャム・トゥルンパ・リンポチェは、こうした時の状態を『基本的な正気』(Basic Sanity)という表現をしています。

 世界のすべては、シンプルで何事においてもその良さや美しさがあります。絵画や音楽なのど芸術の美しさに触れたり、朝の散歩の中での朝日の美しさや、公園の葉っぱの色の鮮やかさであったりなど、日常のちょっとした一コマで感じる世界の新鮮さ、奥行きの深さを、頭ではなく肌で感じてる時、私たちは正気でいます。そして私たちが正気である時、同時に謙虚であり思いやりがあります。誰しも正気になれば自動的にそうなります。その時私たちは、功徳を積み始めることができるのです。