読むロジョン / スローガン15 (4)

meditation まいにちメディテーション メディテーション ロジョン 瞑想 Apr 12, 2022
読むロジョン / スローガン15 (4)

Slogan 15
Four practices are the best methods.
4つのプラクティスは最善の方法 (4) ダルマパラを供養する


 スローガン15の4つ目のプラクティスは「ダルマパラを供養する」についてです。ダルマパラ(Dharmapara)とは、伝統的な考え方としては、仏教の考えやそれを実践している人たちを守る守護者のことを指します。マハーカーラ(大黒天)やヴァイシュラヴァナ(多聞天)など日本の仏像にも出てくる守護神たちもダルマパラたちです。前回のお化けに続いて今度は守護神まで出てきましが、このロジョンや瞑想の実践においては、このダルマパラは、私たちの気づきを具現化したものと捉えましょう。心のごく普通で基本的な反応として考えると、とてもわかりやすくなります。

 このダルマパラたちは、何かの問題によって私たちの心が迷った時に、私たち自身の規律に戻るように背中を押してくれます。ダルマパラが悪い夢の世界から、自分の生きてる目の前の現実の世界に引き戻してくれるのです。規律とは呼吸に意識を戻して今に在るようにすること、正気を保つ規律のことです。

 例えば、誰かと喧嘩をして、とても興奮して怒りにまみれたまま、その場を去ろうと部屋を出て、扉を閉めたら、勢い余って手を挟んでしまう、、、といったことは誰しも経験がありますね。このドアに手を挟んで、あ!となったとき、そこにダルマパラがいます。怒りに我を忘れていた状態から、ドアに手を挟むことで「我に帰った瞬間」こそがダルマパラが正気に戻してくれたときとなのです。

 ドアに手を挟んでしまうような、ハッと我にかえる何かのきっかけやタイミングは、日常生活の中にたくさんありますね。ダルマパラたちが出現しやすいのは、座っている瞑想の時間よりもむしろ日常生活の中になります。ポストメディテーションでいかにダルマパラたちに気がついていくかがこのプラクティスのポイントの1つになります。

 また、このプラクティスで大事なことは、こうしたダルマパラたちは、自分以上の存在ではなく、外的な何かではないということを理解しておくことです。何か外の世界の、超越した神に支配されているとといった考えではなりません。ここの理解を間違うと、プラクティスが違った方向に行ってしまいます。守護『神』と訳されてしまうと、どうしてもこの手の誤解が付き纏ってしまいますが、このプラクティスにおいては、ダルマパラは、私たち自身の知性の表現です。

(この神云々については説明し始めると長くなるので、また別の機会に書きます。大雑把な理解のために、このブログの『瞑想の方向』を参考にしていただけるとわかりやすいと思います。)

 本題に戻りますが、ダルマパラたちは、いつでもどこでも常に現れます。そして私たちの中で発生する攻撃的な感情や混乱を破壊してくれます。心が混乱しているときは、私たちは心の攻撃性と結びついていて、目の前の事象があらゆる種類の概念や先入観で歪曲されています。別の言い方をすれば、エゴ(自我)によって心が支配されて混乱していますので、それを断ち切る必要があります。ダルマパラたちの仕事はそうした混乱を断ち切ることです。

 上の写真は、ダルマパラの一人であるマハーカーラ(大黒天)です。憤怒の形相で見るからに怖そうですが、彼(もしくは彼女)たちはの基本的なコンセプトは、『優しさ』です。心をが混乱してしまい、開放性や単純さ、優しさを失わせるような私たちの潜在意識化のゴシップを、憤怒の一撃で断ち切って、私たちの本来の質である優しさを発揮させようとしてくれているのです。
ダルマパラの恐ろしい姿は、優しさが厳しく、強力になった姿なのです。非常に強力な優しさで私たちの攻撃的な心を粉砕してくれます。そうでなければ私たちの中に優しさが生まれないからです。

 こうしたダルマパラたちの優しさを、自分の心への優しい気づきとして置き換えてみてください。何か自分が苛立っていたり、不安に駆られていたら、ダルマパラたちのように、その想いを優しさで砕いていきます。自分の攻撃的な心に気が付き、それに対処していくことは、心をトレーニングする上で非常に大切なポイントです。ある意味ロジョンのトレーニングはほとんどこの心の攻撃性を御していくためのものと言えるかもしれません。心の攻撃的な癖を弱めていくと、私たちの中には、弱々しいものから強力無比なものまでさまざまな優しさがあることに気が付き始めます。

 人生の中で、戦争、疫病、天災、さまざまな苦痛を伴う出来事が起こった時、すなわち自分の心が攻撃的でかつ過剰に防御的なった時こそ、自分の事ばかりではなく、優しさと正気を保って人生を歩むことを忘れないこと、これがダルマパラたちを供養することなのです。