瞑想は手段か?目的か?

Apr 10, 2023

『瞑想は目的ではなくて手段です。』と言うと戸惑う方もいらっしゃるかもしれません。しかし、瞑想を学び、実践してくのであれば、瞑想は『手段』ということをしっかり覚えておくことが大切です。伝統的には、Upaya(巧みな手段)とも言ったりしますが、瞑想は人生を歩むための手段です。

 私はよくこのブログで、瞑想は『自分に慣れ親しむこと』または『自分と友達になること』と紹介しています。では、自分に馴染んで、その先どうするのか? それは、自分の人生の本来の豊かさや鮮やかさ、優しさに触れ、今、目の前にある現実の人生と関わることです。さらに進むとしたら、豊かさ、優しさ、思いやりを周囲の人へも向け、自分だけではなく、自分の環境全体を豊かにしていくため、とも言えるでしょう。瞑想は今、現在の環境・状況と素直にオープンに付き合う生き方を実践していくための大切な道具なのです。

 とてもシンプルなことですが、なかなかこれを忘れてしまいがちなのが私たち瞑想実践者です。私たちは、瞑想が上手くなりたい、練習をちゃんとしたい、テクニックを知りたい、理論を知りたい、などなど…つい枝葉に固執しがちです。そして、ただひたすら、本を読んで知識を入れ続けたり、盲目的に瞑想をすることに囚われたりしてしまいます。しかし、そうしたある種の固執は、瞑想を「すること」に主眼を置きすぎて、瞑想の本来の目的である「日常でどう過ごすか?」という視点を失ってしまいます。まさに手段が目的化してしまうのです。

 また、瞑想が単にリラクゼーションや集中法だと誤解していると、日常の出来事で必ず起こる、困難や気分の良くないものに遭遇すると、それから目を背けて、瞑想という安心安全(であろう)状態に没頭したり、依存したりしてしまう場合もあります。これでは自分の人生を進めるどころか、瞑想が単に人生からの逃避場所になってしまいます。今の自分を否定して、自分の違う人生や、違う自分を探し続けることが目的になってしまうことすらあります。こうしたことも、なぜ瞑想を実践するかの方向性を見誤ってしまう、一つの要因になりえるのです。

 もちろん、そもそも私たちが瞑想を始めようと考える場合、今の生活が物理的、または心理的に違和感、不安や不快感を感じるからというのが大半の理由であることも事実です。だからこそ、「自分を変えたい」「人生を変えたい」という意識を持つことがほとんどと言っていいでしょう。私も含め多くの方々が、大半はこのモチベーションで瞑想をスタートしていると思います。これは瞑想を始めるきっかけとしては悪くはありません。少なくとも人生のあり方に何か「引っ掛かる」ことがあることに気がついたからです。しかし、この引っ掛かりを気にした時に、今の現状や自分よりも、「より良い何か?」を求め始めると、瞑想は問題を孕みます。なぜなら今の自分より良い自分はどこにも存在しないし、作ることができないからです。

 私たちは、今この瞬間の存在しか感じることができません。過去の偉大な私も未来の輝かしい私も単に思考にすぎないからです。しかし、この瞬間をしっかり捉えることができるのであれば、そこに豊かさ、鮮やかさ、知性、落ち着き、柔らかさ、暖かさ、思いやり、精密さなどが自分に備わっていることに気がつくことができます。私たちは何も不足しているものはありませんし、何かを変える必要もありません。私たちの瞑想の伝統では、その良さをBasic Goodness(基本的な良さ)と言います。私たちの本質に何も問題ないのです。瞑想は、こうした自分の本来の質を思い出す作業にすぎません。

 そして、瞑想によって本来の自分の質、自分に備わっている良さを再確認したら「その自然な質と共に、どう人生を生きるか?」が、瞑想実践の主戦場になります。しかし、実際に自分本来の優しさやクリアな洞察力や知性を、日常生活で使おうと試みると、それが至難の技であることがわかります。職場でも、家庭内でも、忙しく心や体を働かせていると、私たちはとても注意散漫で、思い込みが激しく、常に何かしらの不安に付き纏われ、周囲の人や動物、自然環境に気を配る余裕もなくなります。自分の人生を『生き残る』ことに精一杯で、人生の豊かさや良さを感じることができなくなってしまいます。

 生き残ることで精一杯な私たちは、自己防衛的になり、あれやこれやの不安に気を取られます。散漫で忙しない心のパターンにはまり、心のスピードをあげていきます。そして、心のスピードが高まると、心は攻撃的になります。人でも物でも環境でも所構わず相手を批判したり責め立てたりしやすくなるのです。時にはそれが自分自身に向いてしまい、自分を批判、攻撃し、自分の人生を破壊してしまう場合すらあります。瞑想は、そうしたパターン、すなわち攻撃的な思考や感情を断ち切り、心のスピードを減退させて、それが起こらないようにする大切な心のメンテナス作業なのです。瞑想が、毎日継続的に続けなければならないのは、これが最大の理由です。

 大切なことなので繰り返しますが、私たちは、落ち着いて余裕があれば、とても知性的で、創造性が豊かで、五感を通して世界の美しさを享受でき、本来的に優しさや思いやりがあります。こうした自分の本来の質と共に人生を歩むことができれば、人生は生き残りを賭けた戦いではなく、自分にも周囲にも豊かさを広げていく持続的な繁栄ができるものになっていきます。これは高邁な理想でも、どこかのスピリチャルマスターの特別な魔法でもありません。瞑想は、単に私たち誰もができる、自分の本来の質に立ち戻ることができる、極めて現実的な「道具」なのです。そして、その道具を使って自分の人生を歩むのかと言うことが、本当の意味で瞑想を実践することなのです。

瞑想はなぜ必要なのか?4/2 Sunday 18:30 Start 
瞑想の使い方「Creativity Spirituality and Making a Buck」