優しさを鍛える

Jan 10, 2024

  2024年がスタートしましたが、日本では地震や航空機事故から新年が始まり、世界に目を向ければ戦争や紛争が世界各地で続き、終わりの気配を見せていません。さらに世界中で異常気象による被害も増加の一途を辿っています。世界各地で被災された方へ想いを向けると、心が痛まない日はありません。

 チョギャム・トゥルンパ・リンポチェが瞑想修行の方向性を示すために書いた「マハムドラのサダナ」(THE SADHANA OF MAHĀMUDRĀ)の文頭には「これは暗黒の時代の最も暗い時間である。病気、飢饉、戦争は、北風のように荒れ狂っている、、、」と書いていますが、50年後の今になっても世界の状況は悪化の一途をたどっています。

 混乱と不安の多い日常では、自分の身を守るとうう心理的、肉体的な防御機能が働くため、私たちの心も身体もどうしても固くなりがちです。これは自然なことで、仕方のないことではありますが、厄介なことに私たちが固くなる時、同時にエゴも強く作用してしまいます。エゴは自己防衛機制とも呼ばれ、自分を守って維持するための心的システムではあるものの、これの過剰な反応は、普段以上に私たちを利己的にし、周囲の人や出来事を顧みなくなってしまう可能性があります。心が防衛的になりすぎると、それに呼応して呼吸も浅く、体もコチコチ、何か漠然と焦りと不安が散漫に思い浮かび始めます。心にも身体にも余裕がなくなり、常に緊張し、硬直してしまうのです。

 こうした心的・身体的硬直を和らげるの唯一の特効薬は「優しさ」です。優しさを思い出したり、育むことで、私たちは心を緩め、余裕を生み出し、利己的な心を減退させてくれます。そしてこの特効薬を手にいれる唯一の方法が『瞑想』だというのが私たちの伝統です。

 例えば、最も基本的なマインドフルネス瞑想においても、優しさを培う要素が多分に含まれています。瞑想の姿勢を取ったら、まず身体的な感覚をよく感じ、体の緊張を緩めます。トゥルンパ・リンポチェは、「ゼリーのように座りなさい」といった表現をしましたが、まさにゼリーのように体のどこにも緊張を走らせずに、ゆったりと柔らかく座ることがポイントです。緊張のない柔らかな身体をしっかり感じることが、自分に対する優しさを育む第一歩になります。

 柔らかく座ったら、次は呼吸にも優しくアプローチします。呼吸に集中したり強く関与するのではなく、自分の自然な呼吸に優しく寄り添います。そして、瞑想中に生じる思考や感情、知覚に対しても、赤ちゃんのほっぺに触れるように優しく触れます。心に生じるものを強く跳ね除けたり、冷たく無視したりするのではく、優しく柔らかく触れる練習をするのです。

 このように瞑想中のテクニックには、たくさんの優しさを含める要素があります。これはマインドフルネス瞑想に限ったことではなく、シャマタ・ヴィパシャナ瞑想にもありますし、トンレン瞑想やメッタ瞑想などコンパッション系の瞑想にももちろん含まれていてます。優しさは全ての瞑想において必要不可欠な要素なのです。

 毎日行う瞑想に優しさの質を含めることで、私たちの心理的、身体的反応の中に優しさ、柔和さの感覚を繰り返し思い出させ、日頃からより容易にその感覚を使えるようにしているのです。優しさに「馴染む」わけです。そして、瞑想でこうした優しさに馴染んでくると、瞑想を超えてそれが日常に染み出して行きます。日常の全ての所作、動作にこの優しさが含まれていきます。

 例えば、ドアの開け閉めひとつをとっても優しく丁寧にできるようになります。コーヒーカップをテーブルに置く時も優しくテーブルに置けるようになります。毎日の散歩や通勤で歩く時、一歩一歩が柔らかく穏やかに地面に接地します。ズカズカ・スタスタ歩かなくなっていきます。こうした日常の些細な反応の積み重ねの先に、人や動植物へ思いやりや優しさがより発達していくのです。人や動植物全てを敬い、自然環境をリスペクトする反応へとどんどん広がります。ポストメディテーションは、このように日常の全てに優しや柔らかさが行き渡わたらせる作業のことを言うのです。

 私の師であるデイビッド ニックターンはよく私に、「優しさは鍛えるもの」と言います。まさにその通りで、優しさは毎日の瞑想と日常に柔和さを広げる訓練を通して、自分の優しさに馴染み、それを自然に使えるようになるのです。固い心と体には、優しさは生じません。瞑想で座っていることは、日常を柔らかくする力を持っているのです。

 しかし、それでもトゥルンパ・リンポチェの表現のように、不安定で混乱に満ちた暗黒の世界を目にすると、私たちの心は固く閉ざされ、いつも以上に優しさを忘れてしまいがちです。

 余裕がなくなり心が固くなる例として、トゥルンパ・リンポチェが亡くなられた時のことを、デイビッドは私に繰り返し話してくれます。師を失い不安と悲しみに暮れ、半ばパニックになった生徒たちは、トゥルンパ・リンポチェと親交の深く、生前にもデイビッドたちを指導してくれたディルゴ・キェンツェ・リンポチェに今後の瞑想実践や人生の歩み方をどうするべきが尋ねたそうです。その時、キェンツェ・リンポチェは、今後の指針をただ一言、『みんなに優しくありなさい。』とだけアドバイスしたそうです。

 月並みな言葉でありながら、とても重く深い言葉です。そしてこれこそが瞑想を進める私たちに全てが決して忘れてはいけないポイントなのだと思います。毎日、瞑想の練習をすることは、私たちの固い心を溶かして、暗い時代を照らす灯りを手にいれる作業なのです。瞑想実践の目的はここにあると言えるでしょう。固い心と体に気がついたら、今年は特にこの言葉を思い出せるようにしていきたいものです。