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心と呼吸

Apr 16, 2025

心と呼吸を「混ぜ合わせる」感覚──瞑想をもっと自然に 

 瞑想をしていると、いつのまにか考えごとに巻き込まれていたり、身体のちょっとした不調ばかりに意識が向いてしまったりすることがあります。私たちの心は、一か所に留まらずにあちらこちらへ飛び回るものです。そこで大切になるのが、呼吸を上手に使って心を落ち着かせるという考え方です。私たちの伝統では、呼吸と心を「混ぜ合わせる」と表現します。少し不思議な響きがある言葉かもしれませんが、実際には瞑想の核心と言えるものなのです。

呼吸は心の「おもちゃ」になる 

 瞑想では、しばしば呼吸をおもちゃにたとえることがあります。チョギャム・トゥルンパ・リンポチェは、呼吸を「テディベア」と表現しました。子どもがテディベアを抱えていると落ち着くように、心も呼吸という遊び相手があるだけで、ふっと安心感を得やすくなるからです。心と呼吸は似た性質をもっています。どちらもじっと止まっていることがなく、吸ったり吐いたり、考えたり感情が浮かんだりと動きを持ち続けています。だからこそ、落ち着かない心には、同じように動きのある呼吸という「おもちゃ」を与えてあげると相性がいいのです。

「滑り台」を滑り降りるように息を吐く

 私たちが瞑想の基本としているシャマタ・ヴィパシャナ瞑想では、息を吐く時の感覚を「滑り台」にたとえることがあります。息を吐き始めたら、あとは滑り台に身を任せて一気にスーと降りていく。こまかく操作しようとしたり、吐く息の長さを自分でコントロールしようとする必要はありません。ただ「滑り台に乗ったら下まで降りてしまう」という自然な流れに乗るだけでいいのです。

身体だけで完結しない“外へ出る”感覚 

 瞑想中に湧き上がる思考や感情、身体の感覚ばかりを見つめていると、自分の思考や身体の不快感など「自分の内側」に囚われやすくなることがあります。もちろんそうした内的感覚も大切ですが、そこで終わるのではなく、『吐く息』で自分が座っている空間や周囲の空気感、そして現実の世界に向かって意識を開いていくことがより重要です。心理的にも身体的にも視野が広がることで、「いま、ここに確かに自分がいる」という感覚を新鮮に味わうことができるようになるからです。

 吐く息に乗って外へ開いていくことを続けていると、瞑想という行為がただ自分の内側に入り込む作業ではなく、本来、外と内が自然に繋がっている体験であることが実感しやすくなるでしょう。心は落ち着いてくるのに、けっして閉じこもった静けさではなく、むしろ空間そのものが自分の意識の一部のような『広さ』を感じるはずです。

“シンプルさ”こそ瞑想を深めるカギ 

 瞑想は、呼吸を意図的にどうにかしようとするものではなく、呼吸の流れに心をさりげなく乗せてあげることが大切です。吐くときには自然に、滑り台を滑り降り、息を吸うときには何の操作も加えずに自然に任せる。とてもシンプルですが、この「余計なことをしない」こと自体が最大のポイントなのです。

 呼吸をうまく扱おうとしたり、瞑想のクオリティを上げようとして力んでしまうと、その瞬間にかえって思考が活発になってしまい、呼吸と心が分断されてしまいます。シンプルに息を吐く・吸うを行うだけでいいのです。

 

外の世界も含めて「今」にいる 

 瞑想というと、静かに座り込んで内側だけに意識を向けるイメージがあるかもしれませんが、実はそうではありません。呼吸と心を混ぜ合わせることで、身体の中だけで完結せずに外の世界へと自然に開かれていきます。呼吸は吸ったあとに必ず吐かねばならず、吐いたあとにはまた吸わねばなりません。その出入りの連続が私たちの心をやわらかくときほぐし、「いま、ここ」に戻してくれます。

 考えごとに没頭してしまったら、呼吸というテディベアをそっと心に渡してあげてください。外に広がっていく吐く息の滑り台を滑り降りるように、それ以上の操作はいっさいせず、ただ息を吐くのがおすすめです。きっとその先には、ふっと肩の力が抜けたような穏やかさと、視野も心も広い感覚が見つかるはずです。それこそが「今にある」感覚の一端なのです。

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