ライフフォース

meditation まいにちメディテーション マインドフルネス メディテーション 瞑想 Apr 12, 2022
ライフフォース

ここのところ、このブログでは「ただ在る」だとか「ただ座る」といったことについて書いてきましたが、どうやらマインドフルネスのコツはこの辺にあるようです。しかし、実際にメディテーションをやってみると、自分が座っている場所にただ居続けることが簡単ではないことがわかると思います。

 メディテーションのゴングが鳴って、30秒もしないうちに私たちの心はどこかに出かけてしまいます。メディテーション終わったら行こうと思っているレストランをイメージしていたり、明日の会社の打ち合わせに思いを馳せていたり、ニューヨークに行ってクラスを受けていることを考えたりと、私たちの心は世界中を気軽に飛びまわります。また心は物理的な距離を超えているだけでなく、昨日の後悔や未来の不安など、過去や未来といった時間さえ超えて彷徨っています。

 こうした時、私たちは自分の体のことなど全く気にしていません。座っていることすら忘れていますし、そもそもどこに座っているかもよくわからないかもしれません。メディテーション中、私たちは文字通り『心ここにあらず』なわけです。自分の体と、体が在る場所にまったく留まりません。体はスタジオや自宅の部屋にあるにも関わらず、心はまったく別の場所に飛び立っています。

 マインドフルネスの最も基本的なポイントは、『自分の体や周囲の環境で起こっていることに完全に触れている、または気がついている』ことです。呼吸を感じていたり、自分の脈拍を感じていることもあるでしょうし、外の音や家の中の生活音が聞こえてくるかもしれません、朝や夕方なら陽の光の変化を視覚的に捉えているかもしれません。自分がその場所で生きていていることを鮮明に感じてるはずです。この自分が生きている、生き生きとした質に触れているのがマインドフルです。これをチョギャム・トゥルンパ・リンポチェは、Mindfulness of Lifeと表現したりしました。

 この生き生きとした感覚は、心が体と離れて何処かに彷徨っている時には感じられませんので、これに触れるのは簡単ではありません。一方でこうした感覚は、自分の身体が不具合を感じたり不快感を感じている時、かえってはっきりとわかったりすることがあります。病気や怪我、イライラや緊張といった身体的な不具合を感じた時、私たちの体内の生存メカニズムのスイッチが入って、生きていることがさらに実感できます。体調が思わしくない時にメディテーションをすると、自分の心と体と共にいる感覚がより際立ちます。普段以上にこの生きている感覚と繋がっていることに気が付きます。

 (注ただし、だからと言って無理に具合の悪いのときに練習を頑張らないように気をつけてください!自分と友達になり、親友のようの優しく自分を労わるのもメディテーションのプラクティスの一環です。)

 無理に体調を崩さなくても、メディテーションで似たような感覚がわかる時があります。それは、足が痺れたり、腰が痛っかったり、まぶたが痒かったりするように座っている最中に感じる痛みや不快感に気がつくことです。ちょっと大袈裟に感じるかもしれませんが、私たちが痛みを感じるときは、「死」の可能性を思い出します。病気の不快感、怪我の不自由さなど身体の不快感は、私たちが死を回避するための警戒システムとして自動的に働く警報なのです。しかし、こうした警報システムが稼働している時には、同時に生きている感覚も誘発しています。死を連想させるような不快な感覚は、生命の尊さ、ありがたさを思い出させるのです。私たち自身のライフ・フォース(生命力)が起こって、自分のウェルビーイングな感覚を取り戻して、心も体もバランスを取ろうと反応しているのです。

 メディテーションのプラクティスにおいて、不快感や痛みを感じていることは、生きていることの感覚や、それに対する感謝の気持ちを高めていきます。痛みを感じると、自分の中で生き延びようとする力が働き、それを感じます。それがライフフォース、生命力と言えるものです。この生命としての力は、私たちには誰しも必ずあります。私たちは自分で思っているほど弱々しい状態ではなく、タフな力強い力が内在しています。座っていて、体に痛みを感じたり気分が悪くなった時に、ライフフォースを感じることで、プラクティスを継続する大切な燃料になります。

 メディテーションをしていて、足が痛かったり体の不快感を感じた時、同時に感じるある種の活力を感じ、苦楽の相互作用に働きかけることは、自分のライフフォースに働きかけている状態なのです。私たちがメディテーションをしている時、これが作用しています。痛みや違和感と、こころの豊かさや落ち着きの相互作用を感じています。

 メディテーションを通して、ライフフォースを感じることは、自分がただ「在る」という力を鍛える際にとても大切です。ただし、苦楽は相互作用であるため、どうしても不安や混乱がつきまとってしまいます。苦痛や不快は、無視して避けて通りたいと思いますが、これが生存への反応で、私たちが人生を生きていくための普通の反応であることを忘れないようにしてください。苦痛と快楽の両方を経験していることこそポイントなのです。

 もし、人生の両面を認めず、嫌なことは無視したり目を背ける癖を持ち始めると、人生で困難や切迫した状況に直面した時に、さらに対応がうまくできなくなります。ただ目を背けて問題が悪化することを放置してしまいます。これではいつまで経っても人生の荒波に揉まれ続け、心が落ち着いて、ウェルビーイングな生活など望めません。だからこそ、メディテーションを行う際には、痛みを無視したり、不快感を無視してはいけませんし、反対に心地よさを求めたり、幸福感を感じようとしてもいけません。苦楽どちらのことが起こってもただただそれに気がついて、それを手放すということが大切なのです。「ただ坐って、気がついている」というのがマインドフルネスの非常に重要ポイントなのです。

 しかし、私たちは、ただ座っているなどという単純で平凡なことよりも、何か特別な体験や自分の存在を超えた何かをメディテーションに求めがちです。これこそがメディテーションをする上での『最大の敵』かもしれません。何か特別なものを求めれば求めるほど、私たちは現実離れした自分だけの「夢の世界」を彷徨います。自分が座って、そこで体が感じていることから遠ざかってしまうのです。そして体から心が遠ざかれば遠ざかるほど、チョギャム・トゥルンパ・リンポチェが『基本的な正気』(Basic Sanity)とも表現した、「物事のありのままに経験」することから、自分が切り離されてしまいます。

 心がどこかの夢を見ているとき、私たちは本当の意味で人生を歩んでいると言えるのでしょうか?そうした夢の世界から覚める大切な感覚がライフフォース、すなわち生命力を感じることなのです。ライフフォースによって私たちは世界の豊かさや精密さ、そして美しさを感じることができるようになります。そして人生自体にマインドフルにいられるようになるのです。

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