心の機能

meditation まいにちメディテーション アウェアネス マインドフルネス メディテーション ロジョン 瞑想 Apr 12, 2022
心の機能

 何度かこのブログでも紹介していますが、私が実践しているメディテーションは『自分と友達になること』と伝統的に表現したりします。友達を作るように自分の心と友好関係を結ぶ練習がメディテーションであるという考え方です。また、違った表現をすれば、「心を飼い慣らす」(taming the mind) と言われることもありますし、このブログでも紹介しているロジョンなどは、英語ではtraining the mind(心の訓練)と訳されます。いずれにしても心を扱う何かがメディテーションであるということのようです。

 メディテーションによって心をよく見てみると、いくつかの側面というか機能があることがわかってきます。心を定義しようとすると、なかなか捉えどころがなく難しく感じてしまう理由は、こうした心の多面的な側面に起因します。心をよくみるためには、心の機能的な側面をよく見て、それらをよく観察して、それぞれを整理することが大切です。

心の3つの側面:セム・リクパ・イ

 チベットの言葉にも心の定義は数多くあり、なかなか一つの言葉で表現することができませんが、メディテーションの実践者が知っておくべき代表的な3つの心の機能的側面があります。それはセム(sem)とリクパ(rikpa)とイ(yi)の3つです。

 まず、一般的に心を表す言葉は、セム(sem)と言います。本来的な意味としては『他のものと結びつくことができるもの』です。心は非常に微細で正確に何かの対象を知覚する質があります。それは五感を通して捉える外的な対象であったり、感情や記憶のような内的な対象であったりどちらでも同じく心は知覚します。言い換えれば、心は対象がなければ心を持てません。心は相対的な基準があってはじめて機能するものなのです。

 このセムが機能している時、同時にその対象を知覚したものを分析・判断している知性的な側面も機能しています。この知性的な側面をリクパ(Rikpa)と呼びます。識別力とか洞察力とも言えるもで、リクパには物事の仕組みや機能を見極める力があります。

 さらに、心の別の側面として、イ(Yi)があります。イは精神的な意識として知られています。ここがちょっとわかりずらいかもしれませんが、五感を統合している機能と思ってください。例えば、何かを見たり聞いたいすると、このイによって視覚と聴覚が同調して私たちが何かを捉えている状態になります。このイのおかげで私たちは見たり聞いたり味わったりなどが同時にできます。また、イは、セムが認識した対象それぞれをバランスよく調整しているだけの機能でもあります。

 このように心はさまざまな側面を持ち、知覚や感情がいくつも顕れています。だから心は複雑でわかりずらいでと思いがちですが、そうした一連の反応の全てのプロセスは機能的に反応しているので、落ち着いて観ていけばそれぞれの反応を見渡すことは可能になります。

心の反応に気がつく力:アウェアネス

 心には、こうしたセムやリクパなどの心の動きに気がついているというもう一つの機能もあります。この心の機能を、アウェアネス(Awareness)と呼びます。サンスクリット語で言えばvipashyana(ヴィパッサナ)です。日本語に訳せば、意識とか自覚、または気づきでしょうか。

 アウェアネスというのはとてもシンプルでダイレクトな機能で、心の動きに気がついている時、その気づいている対象を評価をしていないし、解説も加えていないし、コメントもしません、ただただ気がついているだけです。そしてこの何かに『気がついている』ということは、メディテーションにおいておそらく最も重要なポイントでしょう。ある意味私が長年続けているメディテーションは、『ただ気がつく』ことをしていると言っても過言ではありません。この力によって歪みのない心の状態をみて、心のさまざまな機能を知っていく訓練をしているわけです。

 アウェアネスも他の心の機能と同様、心が持っている自然な機能の一つでので無理に作り出すものでもありません。また、どこからかやってくるものでもなければ、どこかに消え去っていくものでもありません。私たちの心の機能としていつもそこにあるものです。しかしながら、この機能がしっかりと働かないことが多いのが私たちです。他のことに気を取られていたり、焦っていて余裕がなかったり、強い感情に囚われてたりすると、アウェアネスが機能不全を起こします。この機能不全は、私たちが物事にちゃんと気づかなかったり、物事の判断を謝ってしまう根本的な要因になります。

 アウェアネスがきちんと機能するためには、心に余裕があり、何かに気を取られていない、言い換えれば散漫ではない状態が必要不可欠です。そうした心の余裕や、散漫さを減退させるために必要なものがマインドフルネス・メディテーションです。マインドフルネスが重要なのは、ある意味アウェアネスを稼働させる為と言ってもいいかもしれません。マインドフルネスは、このアウェアネス(またはヴィパッサナ)を稼働させるためのもの電源というかエンジンのようなものなのです。
 

アウェアネスを磨くには

 アウェアネスを機能させるためには、メディテーションとポスト・メディテーションの両方の実践が不可欠です。特にメディテーションの練習をした後、日常で心に気を配るポスト・メディテーションが重要です。まずマインドフルネス・メディテーションで、アウェアネスの機能にスイッチを入れ、アウェアネス・メディテーション(ヴィパッサナ瞑想)でその気がつく感覚を磨きをかけて行きます。しっかりと心の動きに気がつく精度を上げていくのです。そしてメディテーションによってその気がつく感覚が稼働し始めたら、今度は、その気づきを日常に持ち込んでいきます。これがポスト・メディテーションと言われるものです。

 この日常でアウェアネスの感覚を使うことが、心を学ぶ上で大変重要なポイントになります。なぜなら、わたしたちの日常こそが、心がさまざまに揺れ動く時間であるからです。そうした日常での心ありようを洞察することが、本当の心を知覚するということです。アウェアネスの練習の主戦場はクッションの上でのメディテーションより、会社や家庭の中のありふれた日常であると言われる所以です。

 心と友達になるためには、メディテーションの練習だけではなく、24時間すべてを練習に費やす必要があります。メディテーター(瞑想実践者)とはこうした練習をしている人たちのことなのです。クッションに坐っているだけでは、心は半分も学べません。ぜひ坐る練習だけではなく、日常にも目を向けてみてください。そこにはいまま気がつかった発見がたくさんあるはずです。毎日の変わらない風景の中に、宝石のような輝きのあるものがいくつも転がっています。そうした視点が養われれば、「退屈な日常」などはどこにもないことに気が付くでしょう。心をよくみれば見るほど、皆さんの現実の繊細さ、美しさ、そして細やかさを知ることができるのです。