集中しない瞑想

Aug 16, 2022

 瞑想というと何かに集中するものと思われがちですが、True Natureで紹介している瞑想は、『集中をしない瞑想』です。はじめてこのことを知るとびっくりされるかもしれません。今回こうした瞑想と集中について書いてみようと思います。

 瞑想を行う上での集中は、2つのタイプがあります。一般的な意味で使われる、一つのことに集中する「一点指向」的な集中と、もう一つは目の前の状況の全体を捉えている「瞑想」的な集中です。一般的に集中というと、文字通り「一点集中」のような、何か一つにポイントに意識を集中させ、それ以外のことは遮断していく方法といったイメージが強いかもしれません。例えば、仕事や勉強に集中して周りの物音が聞こえないというような、まさに自分だけの世界に没頭していくような遮断を伴う集中です。

 一方、瞑想的な集中というのは、こうした一点指向的なものではなく、あらゆることに気がついていながら、気が散ったり、特定のことに気を奪われていない状態を言います。全体性という言葉を使うことがありますが、まさに全体がわかっている状態です。これをサンスクリット語ではサマディと呼んだりしますが、本来瞑想で使われる集中はこちらのことを指します。

 瞑想をはじめるとき、多くの人が集中の意味を誤解してしまいます。日本人の私たちは「無になる」という言葉がなんとなく頭の中にあることもあり、瞑想とは集中して、五感や知覚を遮断して、ただじっとするものだと考えがちです。とにかく呼吸や何か一点に過度に集中しようとしてしまいます。しかし、本来瞑想とは、心の動きや目の前の現象を正確に精密に洞察する力を養うものです。何か一点に集中してしまうと、それ以外のことが全くわからなくなります。一点指向の集中は、私たちの潜在的に持っている洞察やひらめき、優しさや柔らかさが不明確になり、ある種の鈍さを作ってしまいます。

 例えるなら、一点指向の集中はサーチライトで、瞑想的な集中は航空管制レーダーのようなものです。どこか一点への集中力を高めるのは、サーチライトの光源を強化してるようなもので、どれだけ光源を強めても、対象は一点しかわかりません。一方、瞑想的な集中は、管制レーダーのように360°全方位的に常に状況が把握できます。

 伝統的に瞑想では、呼吸への意識は、意識の相対の25%くらいしか向けず、残りの75%は、周りの環境と体の中や心の中で起っていることを全て気がついているという形が理想的と言い伝えられています。瞑想中は、常に周囲の変化に気がつけているのです。

 もちろん、瞑想のテクニックにおいても、一点指向の集中を使うこともあります。呼吸に集中したり、何かの対象に集中することで、散漫でふらふらしやすい心を落ち着けたり、何かの不安や悩み事から意識を一時的に外らせることができます。しかし、瞑想の本体は全体の状況に「気が付く」ことにあるため、瞑想のテクニックとしてはまだ十分とは言えません。

 なぜTrue Nature Meditationは「集中しない瞑想」という言い方をしているのかというと、これから瞑想を始める方たちに『集中=一点指向』という固定観念を外してもらいたいからです。これを捨てない限り瞑想が全く進歩しません。瞑想中に呼吸や頭の中のイメージに強く集中して、周りの物音に気がつかない状態を作り続けていると、心の豊かな動きや、目の前で起きているリアルな状況を全て見過ごしてしまいます。これでは、いつまで経っても自分の心や、目の前の現象と向き合えません。さらにこれが高じると、心の鈍さが増し、物事や自分の心から逃避する癖をつけてしまう可能性すらあります。

 豊かな人生を送るためには、私たちはある種の勇気と自分への信頼を持って、心や物事に素直に向き合う必要があります。そのためには一点集中をせず、全体に気がついていながら気が散っていない瞑想がとても有効です。瞑想と通じてリアリティを事細かに知覚できれば、毎日の生活はより鮮やかで軽やかになっていきます。瞑想の練習時には、「全体に気がついている」という感覚を忘れないようにしてください。