コンパッションとマインドフルネスの関係性

コンパッション セルフコンパッション ボーディチッタ マインドフルネス Mar 15, 2023

 ここ数年「マインドフルネス」も「コンパッション」も、それぞれ認知される言葉になってきました。マインドフルネスとコンパッションは実は非常に連動したものですが、まだその認知は乏しく、マインドフルネスとコンパッションは全く別のもの、と理解されている方も少なくありません。そこで、この2つがなぜ繋がりがあるのかについて書いてみようと思います。

 コンパッションのトレーニングを行う際には、まずマインドフルネスの感覚を知る必要があります。マインドフルネス瞑想の練習を続けていくと、落ち着いて自分のことや自分の身の回りのことに気がつき始めます。そうした気づきの先に、自分の「柔和さ」そして「余裕」の感覚があります。呼吸、特に吐く息に意識を乗せて、それを大気に溶かしていくことで、過剰な自意識(エゴ)を溶かして、「ふっ」と肩の力が抜けた、身体的にも心理的にも柔らかくなった感覚が現れます。これがAbsolute Bodhichitta(絶対的なボーディチッタ)と呼ばれる、私たちに元々備わっている優しさ、思いやりの最初の感覚です。マインドフルネス瞑想には、明晰やさ安定といった効果だけではく、自分の中にある思いやりの種を再確認するための作業という一面の大切なポイントもあるのです。

 そして、その柔和さや思いやりの種を、さらに育てていくのがコンパッションのトレーニングです。コンパッションは、日本語に訳せば「思いやり」とか「慈悲」ですが、私たちの伝統では「トンレン瞑想」や「メッタ瞑想」などの瞑想法や「読むロジョン」でも紹介している「ロジョン」など、瞑想から日常の訓練法までたくさんの「思いやり訓練法」が存在します。

 これらのコンパッション・トレーニングで共通しているのは、その中心に思いやり、優しさ、または柔和さといった、私たちが落ち着いた状態で余裕がある時に現れる私たちの生来の質を使うことです。そうした思いやりの心がボーディチッタ(Bodhichitta)と呼ばれるもので、日本語だと菩提心と訳されます。このボーディチッタには、文頭に紹介した絶対的なものと、もう一つ相対的なものと2つの側面があります。

 絶対的、相対的といった言葉だと何やら難しいですね。もうちょっと簡単に言い直せば、絶対的は「無条件の」(Unconditional)と言い換えられる言葉です。要するにあらゆる条件付がなく、周囲の影響がなく、ただその質を保っているというのが、「無条件」ということです。絶対的なボーディチッタとは、あらゆる条件に左右されることなく、ただ思いやり・優しさといったコンパッション質があるということです。私たちには思いやり優しさが、元々備わっているのです。コンパッションはこのように生まれてからずっと私たちの中にあるもので、外から獲得するものではありません。私たちの本質は「コンパッション」だと言えるのです。

 ただし、これがなかなか実感できないのが普段の私たちです。いつもイライラしていたり、誰かに意地悪をしたりと、思いやりや優しさのかけらもないの1日を過ごすこともあるかもしれません。これは、私たちの持っている無条件のボーディチッタ、つまり思いやりの心が、何かに覆い隠されてしまった結果、その感覚が全くわからなくなっているからです。この覆が「エゴ」すなわち私ちの「自意識」なのです。覆いの素材一つ一つがエゴによって生み出された思考のパターン、物事の捉え方の癖であり、伝統的な例えとしては、繭と呼ばれたりします。蚕が紡ぐ糸の一本一本が私たちの概念や先入観であり、それを幾重にも自分の心に巻きつけることで、本来持っている思いやりの心が隠れてしまいます。

 このエゴの繭をなくしてく作業がマインドフルネス瞑想だとも言われます。一つ一つの心の癖に気がついて、強い思い込みや評価判断癖を取っていきます。マインドフルネスを継続して練習することによって、繭の糸がほぐれ、覆い隠された思いやり、優しさが正常に機能するようになるのです。

 マインドフルネスを通じて自分の中のコンパッションのセンスに気がついたら、それを周りの人たちに向ける訓練をしていきます。それが、相対的なボーディチッタの訓練と呼ばれる相関性の中、すなわち人間関係の中で、自分の思いやりを使いやすくしていく訓練です。トンレンやメッタといったコンパッション系の瞑想がそれにあたります。

 メッタ瞑想やトンレン瞑想を行う際に最も大事なポイントは、マインドフルネスを通して再発見できた自分の本質的な思いやりの心を使うことです。これが欠けているとコンパッションが虚なものになってしまいます。まるで、電球のない懐中電灯のようなもので、周囲の人や自分に対して思いやりという温かな意識の光を向けることができません。

 また、マインドフルネスが欠けたコンパッションを行うことは、ボーディチッタの感覚を使わずに、非常に観念的で独りよがりな思いやりの概念、優しさの概念を作り出して、ある種の決めつけを周りの人に向けてしまいます。これはエゴ(自意識)の産物にすぎず、温かな光どころか、相手を自分の好きな色に染めてしまうカラー電球か、健康を害する放射線を照射しているようなものになってしまうのです。

 こうした有害なフェイク・コンパッションを使ってしまわない為にこそ、マインドフルな感覚が必要不可欠なのです。瞑想の伝統的なトレーニングが、まずマインドフルネスから始まり、アウェアネスを身につけた上で、やっとコンパッションのトレーニングに入るように設計されているのはこれが理由なのです。マインドフルネスとコンパッションは決して別々のものではありません。コンパッションのトレーニングをする際には、自分の中の思いやりの電球が使えているのかどうか、ぜひ確認してみてください。光が見つからなかったり、弱かったらマインドフルネスをしっかりやってみましょう。急がば回れです。