期待の持ち方
Apr 12, 2022私はこの7年間、毎週2回スタジオでマインドフルネス・メディテーションの無料体験クラスを開催し続けています。そしてクラスを開催する際には、最初に毎回必ず、「どうしてメディィテーションに興味を持ったのか?」を参加者の皆さんにお尋ねしていますが、本当にその理由は様々です。
メディテーションまたは瞑想を始めるきっかけは人それぞれです。「ストレスから解放されたい!」、「自分を見つめたい!」、「心地よくなりたい!」、「悟りたい!」、「先生になりたい!」、「無になりたい!」などなど。10人の人がいれば10の目標や期待があります。そして、そうした期待感がなければメディテーションが始まらないのも事実です。
インスピレーションに従って、期待や希望を持ってメディテーションを始めたり、続けたりすることは決して悪いことではありませんし、むしろ人生を一歩一歩進める為に必要な場合もあります。しかし、そうしたものを実際のメディテーションのプラクティス(練習)自体にまで持ち込んでしまうと、問題が発生してしまいます。トリッキーですが、メディテーションの実践において、ここがとても大事なポイントです。
メディテーションをはじめる時に、多くの方が嵌まりやす罠が、このメディテーションの最中に、何かしらの「期待」を持つことです。
マインドフルネスを含め、メディテーションの練習のポイントは、そうした「期待」を持たずに、ただそこにいることです。ただ座っていればいいのです。
これこそが、メディテーションが正しく実践して、しっかりと心を育むことができるのか、それとも反対にいつまで経っても心が育たない、それどころか、メディテーションをすればするほど心が曲がってエゴの主張が強いエゴ強化型人間(egomania)になるかの境目になります。
しかし、期待を持つな!と言われても、期待や希望がそもそもメディテーションをしないだろうと思う方もいらっしゃるでしょう。
多くの方たちは、メディテーションをすれば悟ったり、嫌なことを忘れり、心地よくなったりなどのイメージを持っています。しかし、もし、こうした期待を持ってメディテーションをすると、メディテーション中に経験する思考や感情の動きを、自分の期待に合わせようとしはじめてしまいます。最近の私のブログでも紹介している「最初の思考」に気がついた時なども、期待が強いとすぐにそれを誇張したり、変更してしまうことがあります。
メディテーションは「心地よいもの」であるはずだと期待しても、実際にメディテーション中にはイライラした感情や、不安な思い、誰かを嫌う感覚が浮かんできます。本来ならそれに気がついてほっておけばいいのですが、期待が強いと、すぐにそれを加工して、無かったことにしたり、気分を変えようと努力したりしてしまいます。自分の理想の瞑想状態を維持しようするのです。
メディテーション中は感じることを誇張してはいけません。ただそのままにしてそこにいることが非常に重要なポイントなのです。
メディテーション中は、自分が良いことをしていると納得させる必要もありませんし、自分の葛藤や疑問、不安を抑える必要もありません。さらには自分を高めようとか、変えようという努力をする必要もありません。ただ、そこに座って、メディテーション・クッションの上に存在していることに感謝していればいいのです。感謝とは世界を祝福したり、自分を美化するような大げさなものではなく、単純に存在の感覚に対する単純な感謝の感覚です。
ただいるだけでいいのです。それだけで十分です。そこには何の神秘性もスピリチャルな感覚もありません。ただ端然とそこに座って、存在しているだけです。意識を高めたり、特別な経験をするために特別な手順を踏む必要は全くありません。メディテーションは、「どれだけシンプルでいられるのか?」がポイントです。
メディテーション中に何かを期待しているということは、とても未来思考です。その先の何かの変化、何かの気づきを探し続けてしまいます。そうではなく、メディテーションは、シンプルにそこにいて、リラックスして自分のしていることを『考えすぎない』練習をするのです。
メディテーションをはじめてしばらくは、この期待を持たずにただ座ることがとても難しいと感じるはずです。しかし、毎日継続して練習を続けていくと、この期待感は少しずすなくなります。練習からのフィードバックや約束を期待せずに練習を続けていくと、メディテーションのポイントは、この「ただ座ること」、実際にきちんと座ることだと自分自身で理解できるようになっていきます。まだはじめたばかりの方はいまひとつ腑に落ちないかないかもしれません。しかし続けば必ずこの考え方はしっくりしてくると思います。
メディテーションは、単にここにいる方法を学ぶためのものなのです。