人工的アウェアネス

meditation まいにちメディテーション アウェアネス マインドフルネス メディテーション 瞑想 Apr 12, 2022
人工的アウェアネス

ここのところ、このブログでは、マインドフルネス・メディテーションで培われる感覚や、変化について紹介してきましたが、マインドフルネスの練習によって、落ち着きやどっしりと地に足がついた感覚を感じ始めたら、その安定した基盤を使って、もう一歩トレーニングを進める必要がります。次のステップは、心を寛やかに、オープンにすることです。

 心をオープンにするためには、マインドフルネスによるシンプルな状態で培われる明晰な視野を広げて、物事にもっと「気がつく」ようにしていきます。この気づきを「アウェアネス」と呼びます。そしてアウェアネスを身につけることで、周りの出来事や、周りの人たちに心を配れるようになり、マインドフルネスで培った柔らかさ、優しさをそうした人たちへ届けることができるようになります。

 心をオープンにするステップを進むには、坐るメディテーションの練習に加えて、ポスト・メディテーションと呼ばれる瞑想をしていない日常生活の中で心の活動を意識することが必要になります。日常の中でアウェアネス(気づき)使うことと、お茶を入れたり、洗濯したりするなどの、日常の行為、所作にマインドフルネスでいることを心がけることの2つのことを忘れないようにしていきます。

 ポスト・メディテーションのトレーニングを行うことで、メディテーションの坐る練習は日常生活の基準点であり、マインドフルネスな生活を送るための出発点だと言うことが徐々に理解できるようになります。またアウェアネスの力がついてくると、メディテーションは自分だけに向けた「気づき」ではなく、自分の周囲の環境、自分の経験に関連する全を包括したものだと言うこともはっきりとわかります。マインドフルネスの基準点に加えてもっと広く大きな範囲のアウェアネスの基準点も持ち始めるのです。

 ポスト・メディテーションによって、マインドフルネスとアウェアネスが毎日の生活、人生全体に浸透すると、毎日の坐るメディテーションと坐っていない日常生活の間に感覚的な違いがほとんどなくなってくることに気がつき始めます。メディテーションとポスト・メディテーションの境界線が曖昧で、どちらも一緒になっていきます。坐ってメディテーションをしているように日常を過ごし、日常を過ごしているようにメディテーションするようになります。そうなると、メディテーションはもはや1日20分のトレーニングではなく、24時間全てがトレーニングになっていきます。メディテーションの力も二次曲線的に伸びていきます。そうした意味でポスト・メディテーションへの移行は、メディテーターにとっては非常に重要なポイントです。

 ポストメディテーションの練習の基本は、日常生活の中での気付きであるアウェアネスを養うことが大切なのですが、メディテーションを始めたばかりのプラクティショナーは、このアウェアネスの感覚を誤解しやすいので注意が必要です。アウェアネスには、マインドフルな状態で自然に周囲のことに気がつく、『自然』なアウェアネスと、意図的に何かの対象に意識を向けすぎてしまう『人工的』または『偽の』アウェアネスがあります。

 本来の物事に対する気づき(アウェアネス)は、わたしたちがマインドフルな状態、すなわち心と体がシンクロして、今ここに在る時に、自然に訪れます。メディテーションの練習して10分、20分と座っていたら、時計の音が耳に入ったり、窓から入る微風に気がついたりすることがありますね?これからは意図的にそこに意識を向けた訳ではなく、自然な知覚が働いたときの自然な感覚です。意図的ま意識ではなく、あくまでも自然で、しかも全方位的でパノラマ的な感覚が効いています。自分のいる空間全部の中で起きていることに気がついている感覚と言えるかもしれません。

 一方「人工的」なアウェアネスとは、自分が意識的に対象を探した結果に知覚する「気づき」です。自分の意識が強く作用しているので、空間の全体的な感覚はなく、ただ私がその対象だけを気がついている感覚です。その時、周囲の感覚はなく、極めて狭いレンジでの意識の使っています。私と対象物という極めてデュアリスティックな感覚しかありません。非常に閉ざされ、閉塞した感覚があり、全く全体性はありません。

 自然なアウェアネスと人工的なアウェアネスの違いをしっかりと理解することは、メディテーションを実践する上で極めて重要です。ポストメディテーションは、自分の周辺との関わり、他者への思いやりを向けることに自然に移行していきます。自然にコンパッションのセンスが芽生えてくるのです。そのためには、自然なアウェアネスによる、パノラマ的開放性が必要です。

 一方、もしポスト・メディテーションで、常に何かに気づこうと心にプレッシャーをかけ続けてた場合、私と何かの対象だけの世界に没頭して、周囲に気を配る余裕がありません。せっかくマインドフルネスで得られた柔らかさも、自意識の強さによってかき消されてしまいますので開放性や優しさの感覚は失われます。また、何か対象への意識を強めることは、同様にその対象を意識している『私』の感覚を高めます。「私」という意識、すなわちエゴが強化されるのです。この人工的なアウェアネスを使い続けると単なる自己中人格が出来上がってしまうのです。

 ポスト・メディテーションは、24時間のトレーニングです。食事をしていても、お風呂に入っていても、犬の散歩をしていても、トレーニングは続きます。そうした一日中のトレーニングで、優しさや思いやりに繋がるアウェアネスを持てるか、自己中心的な人工的なアウェアネスを持つのかによって、メディテーションの質は真逆のものになってしまいます

 メディテーションを何年もやっているのに、職場や家庭、友達付き合いの中で、自分のことばかりにしか考えられない場合は、人工的なアウェアネスに基づいた瞑想をしている可能性があります。ポスト・メディテーションを行う際には、このアウェアネスの質に十分注意してみてください。柔らかくパノラミックな感覚が皆無なら、まずしっかりマインドフルネスを練習してみましょう。マインドフルネスが正しくできれば、アウェアネスは必ずやって来ます。期待せず、意識せず、ゆっくりとそれを待ちましょう。