瞑想が続かない理由

ego マインドフルネス マインドレス 練習 自我 Mar 01, 2023

 よくワークショップなどで、生徒さんから「練習が続かないんです」と相談を受けることがあります。実際のところ、瞑想の実践のなかで重要かつ最も困難なことは、練習を「続ける」ことです。今回はなぜ練習が続かないのかといったメカニズムと、どうやったらそれを打開することができるのかということについて紹介しようと思います。

そもそも瞑想は練習が必要なのか?

 まず、瞑想の練習を続ける必要があるのか否かというところからお話していきたいと思います。(残念ながら)瞑想は継続した練習が必要不可欠です。週に1〜2日の練習では全く用をなしません。端的に言えば、瞑想は自分の心の癖に気づいて、その癖から離れる訓練です。ある意味、新しい癖をつけるようなものなので、継続した反復練習が必要不可欠となります。

 例えば、瞑想の基本であるマインドフルネス瞑想でも、毎日最低でも15分から20分の練習が必要です。マインドフルネスについては医科学的研究も進んでいるので、さまざまなデータがありますが、1日15〜20分前後の継続練習が必要というのが一般的です。私の先生であるデイビッド ニックターン も数年前にニューヨークの大学と共同で、生徒の練習時間とその効果を測定したことがあります。その結果としては、2ヶ月間で1日の練習時間が平均13分以下のグループの人には心的にも身体的にも変化が見られないというものでした。TNMで私たちがマインドフルネス瞑想を伝えるとき、15分以上の練習が必要というのもここに理由があります。10分以下では残念ながら、ほぼ効果が出ません。

なぜ瞑想が難しいのか?

 瞑想は大雑把に言えば、ただじっと坐っていればいいだけなのですが、これが簡単ではありません。これにはいくつか理由があります。まず、私たちの日常において10分「動かない」時間はありません。私たちは常に何か「して」います。仕事をしていても、家事をしていても、趣味の時間を過ごしていても、常に動きまわっています。書道や茶道などのお稽古や、弓道や剣道などの武道をしている人でもない限り、じっとすることは稀です。ここに瞑想が難しい理由の一つがあります。じっと止まっている事自体に慣れていないのです。じっと坐っていると体を動かしたくなります。これは心が落ち着いていない証拠でもあります。

 心が落ち着いていないと、体を止めることはできません。緊張していると何か手をもぞもぞ動かしたり、瞬きが激しくなっりすることがありますが、そのような動作は心があれやこれやと考えて思考のスピードが早く、落ち着きを失うことで現れる状態です。考え事を常に巡らせていると、心的スピードが上がって、体を静止することが難しくなるのです。これも瞑想が続かない、できない要因です。

 ではなぜ心が落ち着かないかというと、実はエゴ(EGO/自意識)の仕業です。私たちのエゴは、「ふっ」と落ち着くことを嫌います。落ち着いてリラックスすると私たちの『わたし』という感覚、自意識が消えてなくなってしまうからです。私たちは常に『わたし』でいたいのです。楽しければ『わたし』が楽しい、辛ければ『わたし』が苦しいと、常に私が何かを感じていないと不安で仕方がありません。しかし、瞑想的な視点から言えば、これは単に私たちの幻想、思い込みに過ぎません。『わたし』は自意識が過剰に働いた結果の産物で、私たちの本質ではありません。

 この『わたし』の説明は、理解が難しいかもしれませんので、ちょっと視点を変えてみましょう。よくTNMのクラスでも生徒さんに伺う質問で、『Who am I ?』(私は誰?)という問いがあります。ちょっと考えてみてください。私は「誰」でしょうか? 

 色々な考えが浮かぶかと思いますが、皆さんが思い浮かぶ『わたし』は、必ず相対的です。すなわち誰かの家族であるとか職場のなになにとか、何かとの関係性がないと『わたし』を説明できないことに気がつくでしょう。実は『わたし』とは所詮そんなもので、自分の本質を表しているものではなく、わたしたちの一側面を表しているに過ぎません。しかし私たちの「エゴ」(EGO/自意識)はこれを正真正銘の唯一無二の『わたし』だと認識させたがります。それこそがエゴだからです。

 こうした『わたし』という自意識を維持するためには、何かの関係や前提条件などのトリセツをつけ続けなければ維持できないものなのです。だからエゴは、そうした条件がつかない状態を極度に嫌います。それが「ほっ」と、リラックスした瞬間です。これをマインドフルネスな状態ともいうことができます。そのため「エゴ」の基本戦略は、いかに自分をリラックスさせずに、あれやこれやと考えさせ続け、私たちをマインドレスに仕立て上げるか、なのです。その戦略に基づいて、私たちは忙しなく思考を廻し、考え続け、分析を続けていきます。これこそが瞑想が続かない最大の要因です。

 私たちの日常がなぜかくも忙しく、考え続けるかは、こうしたエゴの機能によるものです。瞑想は、こうしたエゴ、自意識を維持しようとする心的システムを破綻させるためのものなのです。


ではどうしたらいいのか?

 このように瞑想ができない理由は、私たちの心理的な活動の根深いところと関わっています。「忙しい」とか、「うまくいかない」と言った理由を作るのもエゴの活動のひとつです。とにかく瞑想をさせないようにエゴは私たちを仕向けます。その為、まず基本的に『瞑想はできなくて当たりまえ』なのです。放っておいたら私たちは絶対にしないことをしようとしているのですから、練習に向き合えないのも当たり前なのです。このことを知っておくことは、瞑想を続けるためにとても有効です。

 実際に「ただ、じっと坐っていることなんて簡単じゃん!」という向き合いで瞑想を始めると、その出来なさ加減に、落胆したり失望します。できない自分を責め始めてしまいます。すると瞑想をしてもしなくても嫌な気分が続くので、結果的に練習から足が遠のきます。まずはできなくて当たり前、練習ができたら、こんなに心的に大変な作業をやれたんだ!と思うように意識を転換することで、自然に練習が向くようになります。

 また、瞑想の練習をするときに、練習する時間を決めたら、その決めた時間を必ず履行するということも大切です。15分と決めたら必ず15分練習する。30分と決めたら必ず30分坐るのです。

 瞑想の最中、エゴはさまざまな手を使って私たちが瞑想している状態を切り崩そうとします。「仕事間に合わないかもよ?」「洗濯物取り込んだら?」「ほっぺたかゆいよ!」などなど。とても洗練された知的で、もっともらしい理由が思い浮かびますが、これらは全て過剰な自意識『わたし』を維持し続けるためのエゴの戦略です。こうしたさまざまな思考が浮かんだら、そっと手放して、放っておくというのが瞑想練習の要です。たとえ決めた履行時間の10秒前、5秒前でもエゴの誘いに乗ってはいけません。手放してただ坐る練習が瞑想の練習なのです。

 このように、ある意味、毎日の瞑想の練習はとてもハードです。どうしても挫けてしまうこともあります。または、挫けるのが自然とも言えるかもしれません。そうしたときに覚えておきたいもう一つのことは、いつでも練習に復帰できるということです。練習から遠ざかると、「もう最近練習していないからやっても無駄かも」などと思いがちですが、決してそんなことはありません。いつでも練習にカムバックすることができます。誰でもいつでもどこでも復帰が可能なのも、瞑想の良いところです。

 練習をサボってもゼロベースに戻ったりはしません。自転車を乗るように、最初はヨタヨタするかもしれませんが、補助輪を外したばかりの頃のように全く乗れないということはありません。体は感覚をしっかり覚えています。しばらく練習を続ければ必ず感覚を取り戻せるのも瞑想です。もし練習から遠ざかってしまったときには、このことを忘れずに、いつでも勇気を持って再開してみてください。実際にやってみると思っているほど大変ではないことに気がつくでしょう。

 瞑想は、練習との向き合い方を完璧を求めたり、できて当たり前と思わずに、少しずつ新しい感覚、心の動きに慣らしていくものだと考えてみてください。そうすれば一進一退しながらも、ある時に気がつけば練習が続くようになっています。ぜひ挫けず頑張ってください!