読むロジョン / スローガン14

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読むロジョン / スローガン14

Slogan 14
Seeing confusion as the four kayas
Is unsurpassable shunyata protection.

混乱を四つのカヤとして見ること、それは至高のシュニヤタの保護。


 今回のスローガンは、無我や空への理解を身近にしていくためのスローガンなのですが、久々にスローガンだけを読んでも、よくわからないスローガンが出て来ましたね。でも大丈夫です。それぞれの言葉が分かれば、わかりやすいスローガンでもあるのですから安心してください。

まずは、このスローガンに使われているいくつかの言葉を解説からしていこうと思います。「シュニヤタ」は日本語では「空」のことを指します。そして「四つのカヤ」とは精神的なプロセスを指します。具体的には、ダルマカヤ(dharmakaya)、ニルマナカヤ(nirmanakaya)、サンボガカヤ(Sambhogakaya)、スヴァバヴィカカヤ(svabhavikakaya)の4つです。カヤは本来は、「体」を意味する言葉ですが、状態や次元、基礎なども意味します。今回のこのスローガンでは、前述の通り精神的プロセスとして捉えるとわかりやすいと思います。この精神的なプロセスとして4つのカヤを理解していくと、このスローガンの指示する「シュニヤタの保護」の意味がわかってくるので、順を追って説明していきます。

 4つのカヤ(kaya)は、知覚には4つの段階があるということ説明しています。私たちが物事を捉える、または把握する場合は、何かしらに気が付きますが、その気がついたものが「まだよく分からない」、不確かな状態です。ここから物事が始まります。こういった段階をダルマカヤ(dharmakaya)と言われます。まず「開いている」または「待っている」状態で、そこに何かの反応が始まります。

 「開く」というとちょっと分かりにくいですね。ちょっと例を挙げてみましょう。例えば、私が書斎で今のように原稿を書いているとしましょう。一方、ちょっと前に昼寝から覚めて、暇を持て余した愛犬ルンタが我が家のパトーロールに出かけて、私の書斎に戻ってきたとします。彼は私の書斎の前まで帰ってきて、足で扉を引っかきます。すると室内のいる私は、まず彼が扉の外側で引っ掻いた音を耳にします。

 このルンタが扉をノックした音(引っ掻いた音)を私が耳にした最初の瞬間は、細かく細分化すれば、私はまだ何の音かは把握できていません。ただの音が耳に入ります。ルンタのノックかもしれませんし、風で扉が揺れたのかもしれませんし、泥棒が入ってきたのかもしれません、私はただ音を耳にしただけ。そこには不明確さや、何かよくわからないことによるある種の怯えがあります。これがダルマカヤの段階です。

 そして、その音を聞いて、それが何を意味するのか把握し始める段階が、ニルマナカヤと言われます。私の記憶や知識を介して、「あ、ルンタが戻ってきたな。この音はルンタが扉が引っ掻く音だな」と物事を把握します。

 さらに最初に聞こえた不明確な音と、ルンタだなと把握して理解した、この2つのことを接続して「扉の音が聴これた=ルンタが扉をノックしている」と理解をつなげる段階が3つ目のサンボガカヤと言われます。ダルマカヤとニルマナカヤが、サンボガカヤによって結び付けられます。

 最後のスヴァバヴィカカヤは、こうした一連の知覚段階全てを把握していることを言います。それぞれのカヤとカヤ同士の結びつきを全体として捉えています。「扉の音」→「ルンタ」→「ルンタが部屋に戻ってきたくて、扉を引っ掻いて音がしている」いう一連の理解の反応の過程を全部捉えてる「全体性」がスヴァバヴィカカヤと呼ばれます。

 また、そうした全体を全て把握していることから、このスヴァバヴィカカヤは私たちの存在状態の全てを指します。そしてその存在状態を細かく洞察してみると、私たちの心の誕生や思考の誕生などというものは一切なく、ただ存在し開いている状態しかないことが分かります。そうした状態では、心は生まれず、止まらず、留まっていないことがわかるのが、スヴァバヴィカカヤの段階で、心や思考プロセスの誕生、鎮静、宿りを超えて全てを見ることを意味しています。

 以上の4つのステップを簡単にまとめれば、心の反応や物事の認知といったものは、全てこの4つのカヤのステップ踏んでいて、その詳細をよく見てみると、思考や心といったものは、どこからも生まれてこないで、そしてどこにも留まらないで、さらに消えていかないものであることがわかるということです。

 こうしたことは、メディテーションの実践、特にマインドフルネスとアウェアネス、伝統的な言い方をすれば、シャマタとヴィパッサナの瞑想の実践を続けていくことで自分で感覚として捉えることがでるものです。

 思考や感情は、誕生することは見えませんが、ただそこに「ある」ということを経験することが、このスローガンを意味を理解する一つのポイントです。心は、起源もなく、停止もなく、そして滞留もないものに過ぎないのです。そして、思考は実際には生まれるものではなく、姿を顕しただけのであるという心の機能を理解し始めると、この4つのカヤが私たちの大きな保護となっていきます。

 ところが、私たちは毎日を鑑みると、私たちはいつもとても強固な考えを持っています。信念や固定観念と言ってもいいかもしれません。私たちが信じていること、私たちが決めつけている何か、または人生の計画、仕事のアイデアなどを4つのカヤの視点でよく見てみれば、何事も根拠がなく、中身は空っぽということになってしまいます。

 こうしたことは、『仮面の背後を見て、それが空洞であることを見るようなもの』と表現されたりします。仮面を正面から見れば、それは何かの顔や表情がありますが、裏に返してみれば、それはもはや顔に見えません。ただの穴の開いたガラクタになってしまいます。実体として空っぽなのです。こうしたことが「空」すなわちシュニヤタということでもあります。

 シュニヤタの基本原理に気がつくことは、自分の心の混乱を断ち切ることに大変役にたちますし、自分の心を防御する最強の武器になり得ます。私たちがこだわり、しがみ付く何かの思いは、全てこの仮面のようなものに過ぎません。このことがわかることが『シュニヤタの保護』と言われるものです。

 そして私たちが最もこだわり、しがみ付き、必死で守る最大のものは何かというと、それは『私』という概念です。私たちが信じて疑わない『わたし』も上記のような仮面と同じものであることに気がついた時、私たちが必死で守っているもは全く根拠がないことわかりはじめます。これが無我(エゴレスネス)を知る第一歩なのです。

 このスローガンの言うところは、こうした心のシステムをしっかり理解できれば、自分達の混乱が、無根拠であることがわかり、混乱していること自体が馬鹿馬鹿しくナンセンスであると言うことです。毎日の出来事をあまり重く受け止め過ぎず、軽やかな心で過ごせることこそが、シュニヤタの保護なのです。