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ポストメディテーション

May 24, 2025

瞑想の練習は、座っている間だけのものではありません。むしろ、座る瞑想が終わったその瞬間から、本当の「実践」が始まるのです。これをチョギャム・トゥルンパ・リンポチェは「ポストメディテーション(瞑想後の日常実践)」と呼びました。
 ポストメディテーションは、日常のすべての活動にマインドフルネスとアウェアネスを持ち込み、今この瞬間に完全に目覚めていることを指します。これは「座る瞑想」が基本訓練だとすれば、実地訓練のようなもの。どれだけ日常でそれを実践できているかが、練習の質を決定します。

 

座る瞑想と日常の架け橋「ウォーキング・メディテーション」

 ウォーキング・メディテーション(歩く瞑想)は、座る瞑想と日常活動との橋渡しをする重要な実践です。一歩一歩、自分の動きに気づき、足が床に触れる感覚、身体全体の動きを精密に意識していきます。その繊細な注意深さは、食事を取るとき、手を伸ばし食べ物を口に運ぶ動作にまで広がります。

 歩く瞑想を通して、身体の動きだけでなく、自分の内側の状態や思考の動きにも気づきます。自分が考え事にとらわれて、肉体はここにあっても心がどこか遠くに飛んでいることに気づいたら、穏やかにそれを認識し、再び動作に戻っていきます。

「話すこと」もマインドフルに

 ポストメディテーションは、言葉にも及びます。話すときにマインドフルネスを維持すると、不必要な雑談や神経症的な混乱を防ぐことができます。意識して丁寧に言葉を選び、発する前に自分の言動をよく観察することで、より健康的で調和のとれたコミュニケーションが可能になります。
また、時には沈黙も大切な実践となります。黙っていることは、自分自身を休ませる方法の一つであり、世界とのより深い繋がりを促します。

絶え間ない目覚め

 ポストメディテーションの究極的な目的は、「絶え間ない目覚め」を育てることです。これは常に、どんな小さな行動にもフルに意識を向け、現実に直接接している状態です。シャワーを浴びるとき、食事をするとき、髪をとかすとき、さらにはトイレに座るときでさえ、それらがすべて瞑想の実践となります。

 このようにして培われる気づき(アウェアネス)は、日常に鮮やかさと新鮮さをもたらします。私たちは眠ったように日常を送るのではなく、いつもどこにいても、自分自身と世界との生き生きとした交流を続けることができます。

日常を「練習」として捉える

 瞑想と日常生活の間に隔たりを作ってしまうと、座ることが牢獄のように感じ、立ち上がった瞬間に「自由だ」と思うような錯覚に陥ってしまいます。しかし、ポストメディテーションの実践は、その隔たりをなくし、座っている時も立っている時も、食べている時も眠っている時も、すべてが連続した一つの実践となります。

 日常生活における行動一つひとつが、瞑想の深みを持ち続けられるように意識しましょう。あなたの日常そのものが、常に開かれた、広がりのある瞑想の場なのです。

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