第四の瞬間
May 20, 2025
瞑想には「第四の瞬間(フォース・モーメント)」という、過去でも現在でも未来でもない瞬間があります。トゥルンパ・リンポチェは、私たちが一般的に経験する「過去・現在・未来」という三つの時間の狭間に、この第四の瞬間が存在すると説いています。今回は、この「第四の瞬間」という瞑想の大切なポイントに注目してみましょう。
瞑想は自分自身と友達になることから始まる
瞑想を続けていると、不安感や身体の痛み、喉の違和感など、自分にとって居心地が悪い感覚に出会うことがあります。多くの人は「どうしてこんなことが起こるんだろう?」と戸惑いますが、それはむしろ、自分自身が実は「自分にとってやっかいな存在」だと気づき始めたサインかもしれません。
瞑想は、そうした自分の内面と正面から向き合い、認めることからスタートします。「自分自身と友達になる」という言葉は、どんな考えや夢、妄想が浮かんでも、呼吸や身体感覚へ優しく意識を戻し、「まあ、これが私なんだな」と受け入れる姿勢を育むことを指し示しています。
「マインドフルネス」と「アウェアネス」を育てる
瞑想ではまず「マインドフルネス」を意識します。これは「今ここで起きていること」を評価や判断を挟まず、そのまま感じ取る姿勢です。呼吸や姿勢、そして浮かんでくる思考に対し、「良い悪い」を決めるのではなく、「今、こういうことが起きている」と認めることに集中します。すると、頭の中の雑念に巻き込まれにくくなり、落ち着いて現実を観察できるようになります。
次第に、マインドフルネスによって安定した注意力が育つと、「アウェアネス」がさらに広がっていきます。アウェアネスとは、より大きな視野から世界や自分自身を見る状態です。呼吸や姿勢だけでなく、部屋や座布団、髪の毛の感触、その日の出来事など、周囲のあらゆる存在に気づきが及ぶようになります。トゥルンパ・リンポチェは、こうした広範囲で明晰な気づきを「基本的なアウェアネス」と呼びました。そこでは混乱や無意識までも、「今ここに在る」ものとして受け入れることができるのです。
『第四の瞬間』という非エゴの体験
マインドフルネスとアウェアネスがある程度育まれると、さらにその先に「第四の瞬間(フォース・モーメント)」と呼ばれる領域が自然と開けてきます。これは、特別な超常体験ではなく、自分という感覚に固執する「エゴ」を超えた状態を、ごく現実的なかたちで味わうことだと説明されています。
ここで言う「エゴ」とは、自分や世界に対して固定的なイメージを持ち、それに執着してしまう習慣的な思い込みのようなものを指します。そのエゴをいったん手放すと、言葉や概念、ビジュアルイメージに頼らず、ただ「何かが起こっている」というシンプルで鮮烈な感覚だけが残るのです。
この第四の瞬間は、息を吐き切った直後や、考えごとに囚われていた自分にふと「ハッ」と気づく瞬間に訪れやすいといわれています。圧倒的なリアルさとエネルギーがあり、私たちを「今ここ」に連れ戻してくれる大きな力となります。
日常生活で第四の瞬間を活かす
第四の瞬間は、気づきを失ってしまったときに戻れる「非エゴの空間」です。ここに馴染んでおくと、日常の中で何かに囚われても、またすぐに純粋な状態へと立ち返ることができます。たとえば、困りごとや混乱が生じて「あ、いま私はだいぶ取り乱している」と思えたら、もうその瞬間には第四の瞬間に戻りかけているのです。
瞑想がうまくいっているかどうかを、ただ思考が静かかどうかや身体がリラックスしているかで判断しないことも大切です。たとえ雑念が多くても、それに気づいて「ハッ」として呼吸に戻るならば、それだけで第四の瞬間への入り口となります。
瞑想での実践:吐く息の空白に注目する
座る瞑想の中では、とくに息を吐き切った後に訪れる小さな空白を感じ取ってみると、第四の瞬間に触れやすいと言われています。吐き切った直後、一瞬だけ身体も思考も動きを止め、「ただここに在る」という空間が残ります。もし考えごとに気づいたら、その気づきを否定せず、「気づく」ことそのものを大切にして、もう一度呼吸へ戻ってみてください。
第四の瞬間を日常に取り入れる
瞑想の目的は、神秘的な現象や特別な体験を追い求めることではありません。むしろ、誰にでも備わっているこの「第四の瞬間」を日常の中で思い出し、活用できるようになることにこそ、瞑想の真価があります。混乱や迷いが生じたとき、「あ、いま気づきを失っているかもしれない」と思い起こし、吐く息とともにゆったりと身体と呼吸へ意識を向けてみるのです。
こうした練習を続けていくと、日常のあらゆる瞬間が気づきのチャンスに変わり、人生の見方も少しずつ、しかし確実に変わっていきます。第四の瞬間を自分の味方にすることで、私たちはより落ち着きと明晰さをもって「今ここ」を生きられるようになるでしょう。