自分と戦わない
Jun 17, 2025
マインドフルネス〈ドレンパ〉瞑想では、瞑想中に湧き上がる思考を「評価・判断しない」と教わった方が多いと思います。今日は「なぜ評価・判断をしないのか?」について、少し紹介しようと思います。
チョギャム・トゥルンパ・リンポチェは、瞑想を含めた精神的実践は「戦いではない」と強調しています。これは、私たちが内面で感じる「良い」「悪い」を超え、すべてをそのまま受け入れる必要性を説くものです。
――「真のスピリチュアリティは戦いではありません。それは究極的な非暴力の実践です。」
チョギャム・トゥルンパ『Ocean of Dharma』
ここで重要なのは、心に生じる善悪の判断を超えることでスピリチュアル・マテリアリズムから解放される点です。善悪を超え、ただ「今、ここにいる」ことを実感し、その瞬間を受け入れる――これが瞑想の本質です。そのために「戦わない」ことが大切なのです。
戦わないことと、ただ座ること
瞑想の実践では、まず無意識に生じる「戦い」へ気づくことが大切です。たとえば、瞑想中に「正しく座らなければ」「姿勢を良くしなければ」と感じる瞬間、その思いがすでに心の戦いを生んでいます。
トゥルンパ・リンポチェは、瞑想とは無理に思考を止めたり感情を排除したりすることではなく、ただ座っている――すなわち「ただ存在する」ことこそが最も重要だと繰り返し説いています。思考や感情が浮かんできても、それらに過剰に反応せず受け入れることで、心の平穏が育まれるのです。
神経症と向き合う
「神経症」とは、無意識に生じる不安や過剰な反応、さらにそれらをコントロールしようとする心の動きです。トゥルンパ・リンポチェは、瞑想を通じて神経症と共存する方法を教えてくれます。思考や感情に対して戦うのではなく、それらを「ただ見る」こと――これこそが非暴力の実践です。
――「神経症とは、単純な真実に向き合えないことです。その代わりに巧妙で陰鬱なアイデアを持ち込みます。」
チョギャム・トゥルンパ『The Lion’s Roar』
瞑想によって自分の神経症や偏見に気づき、それを受け入れ、手放していく。こうしてエゴを膨らませることなく、心の平穏が築かれていきます。
瞑想の本質
チョギャム・トゥルンパ・リンポチェを深く研究したトラレグ・リンポチェは、トゥルンパが瞑想を特別な技術ではなく日常的な自然の行為と位置づけ、「思考や感情を抑制せず、共存を重視する」点をユニークな特徴として指摘しています。
トゥルンパ・リンポチェは瞑想の基本を「平穏に留まること」と定義します。静かに座り、呼吸を意識し、現れる思考に穏やかに向き合う――それだけです。ポストメディテーション(瞑想後の日常実践)では、この感覚を日常でも保ち、実生活へと落とし込んでいきます。
戦わずに座る:実践のポイント
-
姿勢を整え、自身の存在を受け入れる
安定した姿勢で腰を下ろし、良い姿勢で座った感じをただ感じましょう。 -
呼吸を受け入れる
自然な呼吸を柔らかく感じます。呼吸をコントロールしたり見張ったりしないようにしましょう。 -
思考や感情とともにいる
湧き上がるものを押しのけたり抑圧せず、「今、こう思っているな」と、ただ眺めています。
神経症も評価も戦わずに共に座り、やがて静けさと親しさが同時に感じられる――そんな時間をぜひ味わってみてください。