お家に帰る

Dec 16, 2025

安心から始める

不安や恐怖があると、私たちは「今いる場所」が耐えられなくなることがあります。居心地が悪い。落ち着かない。何か理由をつけてでも、どこかに行きたくなる。頭の中は「何かしなければならない」でいっぱいになります。

それらは、落ち着きのなさという形で身体的な動きとして現れます。貧乏ゆすりや、指や手を弄んだり、時計を何度も見返したり、携帯を気にしたり。こうした動きは、この「今に在ること」に対する、ある種のアレルギー反応です。

痛みも同じで、身体が痛いと、その痛みを回避するためのあらゆる手段を探し始めます。薬を飲もうかな、病院行こうかな、とにかく寝てしまおうかな。
痛みから目を逸らせる代替案を探すことに忙しくなり、痛みそのものに目を向ける余裕を失ってしまいます。

トゥルンパ・リンポチェは、身体の痛みに結びつく「一種の精神的な苛立ち」について詳しく説明しています。彼によれば、痛みを取り除こうとする「期待」が、心の上で余計な緊張をつくり、結果的にさらに苦しくなるのです。

痛みそのものと、痛みの前後で私たちがつい追加してしまう、もう一つの動きを識別する必要があるのです。最初に必要なのは解決策ではなく、「この痛みはどこから来たのか?」に目を向ける力なのです。

自己欺瞞という近道

このように苦しみ、不安、恐怖があると、私たちは自然にごまかします。埋めて見えないようにするのです。別の心地のいいところへ意識を向けて、なんとかやり過ごそうとするパターンが働きやすい。
その方が簡単で、慣れているため、安心だからです。

しかし、それは根本的な解消ではなく、「治った気がして」いるだけです。実際の痛みや不安は、まだバックグラウンドで進行中なのです。

いまの不快感を一時的に薄める代わりに、今起こっていることへの接触を遠ざけ、痛みや不安や恐れを、ますます「触れられないもの」にしていく。この心の動きを「自己欺瞞(Self-deception)」と呼びます。自分で自分を騙すのです。

瞑想は、私たちにとってこのもっと厄介な「ごまかし」を切り裂き、明らかにする手段でもあります。

帰る場所をつくる

不安や恐怖に向き合うには、まず心の余裕が必要です。余裕がないと、(病巣=触れたくないところ)に触れようとしても触れられません。物事に落ち着いて正しく対処できません。これが自然な心の動きです。

そうした余裕のなさをなくし、不安や恐怖に向き合うための土台作りに、瞑想はとても有効です。瞑想を実践するために、まずやらなければいけないことは、「安心して戻る場所」をつくることです。私たちの伝統では、瞑想を「家に帰る」と表現したりします。心と身体が安心できる、戻るべき場所を確保するのです。

毎日の瞑想の練習において、座って姿勢をとった時に、安心感があるか? 安定しているのか? 今ある場所に信頼があるのか? という点はとても重要なポイントです。反対に、浮き足立って落ち着きがなかったり、緊張して体がこわばっていないか?

座っていても、自分への意識が強すぎて、頭の中のおしゃべりに囚われていたら、戻るべき場所にはいません。これはまだ思考パターンに囚われている状態で、本来の身体的感覚や、今自分がいる現実の場所を正確に認識できていません。

座って、本当に戻るべき場所は、頭の中ではなく「身体」がある場所です。身体と、それを取り囲む空間と座って、部屋と一緒に座る。これができて初めて、私たちは頭のお喋りから解放された、落ち着いて、穏やかで、余裕のある場所に戻ることができるのです。

タッチ&ゴー

「心と向き合う」というのは、掴み続けることではなく、無視することでもありません。
心にタッチはすれども、ゴーはする。思考、感情、身体的感覚が湧き上がってきたら、触れる。経験する。そして、手放して呼吸に戻る。ここが重要です。

瞑想中にあれこれと、余裕なく散漫な思考に巻き込まれていたと気づいたら、それを単に「思考」とラベルを貼る。そして吐く息に合わせて身体に戻る。このタッチ&ゴーも、ある意味で「きちんとおうちへ帰る」練習なのです。

この繰り返しの中で、痛みや不安や恐怖は「自分自身とは別のもの」ではなくなっていきます。馴染みのあるものとして触れられるようになっていきます。こうした馴染みと、「家」から余裕を持って目を向ける力がつくと、徐々に不安や痛みや恐怖に向き合える、しなやかな心が育ちます。

しなやかで余裕ある心を育める人を、私たちは「勇者(Warrior)」と呼びます。代替案に目を奪われず、余裕と穏やかさを持って、現実に起こることを真っ直ぐに見つめる能力を持つ人です。

硬かったら緩める

今ある自分と共にあり、現実を見つめる勇気を育むためには、毎日の瞑想で、ゆったりと柔らかい身体的姿勢に馴染むことが非常に大切になります。トゥルンパ・リンポチェは「ゼリーのように」と表現しましたが、瞑想中、体のどこにも力を入れません。ゆったり、余裕があって、広やかな姿勢になります。これが余裕を生むのです。

ですから、瞑想の姿勢をとったらまず、体の力具合を感じるべきです。もし力が入っていたら、息を吐いて緩めましょう。座っている最中も同様です。そして終わったときも、体の力具合を感じる。吐く息を使って、身体に戻りましょう。

一息つくだけで良いのです。体の強張りが取れて、ゆったりとゼリーのような体になれば、安心できる、我々が本来あるべき場所──「今」──に戻ってきます。

どこかで落ち着かなさや痛みが強いときは、まず息をゆっくり吐き切ってみてください。そこから、家に帰る入口が開くことがあります。

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