メディテーション(瞑想)との向き合い方

meditation まいにちメディテーション メディテーション 瞑想 Apr 12, 2022
メディテーション(瞑想)との向き合い方

最近、メディテーション(瞑想)に興味を持っていただける方が少しずつ増えてきているように感じます。私が毎週開催しているメディテーションの体験会にもオンライン・オフラインともに多くの方々がお越しいただきますが、お話を伺うと「瞑想は以前から興味があったものの、いま一歩踏み込めなかった。」というご意見が少なくありません。
 メディテーションというと、洞窟に篭ったり、出家してお寺に入ったりなど、普段の生活をしている我々からすると『遠い世界』に足を踏み入れなければならないものといったイメージが強く、簡単には始めることができないと考えている方も多いようです。
 ところが、私が学んでいるメディテーションの伝統では、そうしたイメージとはちょっと異なります。知らない世界へ飛び出すというよりは、
今在る生活の中でこそメディテーションの効果が得られるという考え方もあるのです。一般的なイメージと逆さまかもしれませんね。そこで、今回はメディテーションを学び、実践していくスタイルについてご紹介しようと思います。

 私がDavidから学んでいるチベット仏教カギュ派の伝統では、メディテーションを学ぶには以下の3つのスタイルがあります。

(1) 普通の生活を送りながら修行を続けるHouseholder(普通の生活者)タイプ

(2) 人里離れてひたすら修行に励むYogi(修行者)タイプ

(3) 僧院などで暮らしながら修行を続けるMonk(僧)タイプ

 面白いことにカギュの伝統では、どのスタイルでもちゃんとメディテーションの成果が得られ、それぞれに優劣があるとは考えません。普通の生活を送りながらでもしっかりと心は鍛えられるのです。なぜそう言われているのかというとカギュ派の成立の背景があります。

 マルパ(Marpa)はインドに三度留学をし、ナローパ(Naropa)やマイトリーパ(Maitripa) に学び、チベットにおいてカギュ派を確立した人物です。多くの教典をチベットに持ち帰りチベット語に翻訳したことから”The Translator” (偉大な翻訳者)と言われています。
 彼は家庭を持ち、ビジネスマンとしてお金を稼ぎ、その蓄えをインドへの留学資金に充てたり、弟子たちの生活を支えたりしました。彼はメディテーション修行者でありながら、家庭を持ち、仕事を持ち、終生市井に生きた人です。

 対照的に、マルパの弟子ミラレーパ(Milarepa)は、『詩聖』として大変有名ですが、彼は人里離れてハードな修行をし続けるヨギータイプでした。
(ヨギーと書くと混乱してしまうかもしれませんが、ヨギー=修行者と考えると分かり易い思います。彼の人生も波瀾万丈でとても興味深いのですが、その話はまた別の機会にご紹介します。)

 そして、ミラレーパの弟子ガンポパ(Gampopa)が、チベットで初めてカギュ派の寺院を建立し僧院での修行のスタイルを確立しました。
それ以来伝統的に、お寺で修行する人、孤立して修行する人、一般的な生活の中で修行する人の3つのスタイルが確立していきました。

こうした経緯があることから、メディテーションを実践していく場合に必ずしも僧院でなければ修行が大成しないとは考えられていません。また、山の中に籠ることが必須でもありません。

 メディテーションとは心の修養です。時には静かな場所で自分の心の機微を見つめることも必要ですが、心の動きや様々な作用はどこにいても向き合うことができます。山の中の洞窟でも、 お寺での修行中でも、子育てをしていても、ビジネスをしていても心は常に作用しています。むしろ仕事や家庭内の問題などに直面した時の感情の目まぐるしい変化は、心のトレーニングには絶好のケーススタディとなってくれます。

 ある意味では、我々の日常こそが、心の変化を観察するにはもっとも適した場所と言えるかもしれません。カギュ派の礎を築いたマルパ自身がHouseholderタイプであったことは、我々のメディテーションへの向き合いについて考えさせられることが多いと思います。

 メディテーションはいつでも気軽に始められるものです。大袈裟な人生の準備はいりません。 そして今の皆さんの生活スタイルを変える必要もありません。むしろ皆さんの日常にどのように メディテーションを溶け込ませるか?が重要です。日々の生活こそが心と向き合う我々メディテーター(瞑想実践者)の主戦場となっていくからです。
 日々普通の生活を送りながらメディテーション実践をすることは、いろいろな誘惑に負けずに時間を割いて練習と向き合ったり、職場や家庭で起こる強い感情の変化に巻き込まて練習をサボって落ち込んだりと非常にチャレンジングですが、だからこそとても豊かな実りのあるものとも成り得るのです。

あえて日常の中でメディテーションに向き合ってみませんか?