孤独な瞑想

meditation まいにちメディテーション マインドフルネス メディテーション 瞑想 Apr 12, 2022
孤独な瞑想

前回のブログ「柔らかな瞑想」で、マインドフルネス・メディテーションをしているときの柔らかさ、優しさの感覚についてご紹介致しましたが、今回は、メディテーション中に感じる別の感覚である、「寂しさ」、「孤独感」について紹介しようと思います。

 この孤独な感覚は、メディテーションを通して必要な経験であると伝統的にも言われています。

 メディテーションは、家で独りで練習をするときもあれば、True Nature Meditationの朝のクラスのように、先生や練習仲間と一緒にグループで練習する場合もあります。どちらにも良い面があり、練習においては、一人で坐ることとグループで坐ることをバランスよく行うことが良いでしょう。

 しかし、たとえグループで人に囲まれているとしても、メディテーションの行為自体は、1人で行うものです。いつも独りです。

 この独りでいる感覚、その時の寂しさを感じることもメディテーションの練習ではとても大切です。なぜなら、日頃の私たちは、独りになりたくないからです。

 私たちは独りならないように、常に他の人と繋がっていたいのです。電話やメールや、各種SNSなどを通じてとにかく誰かと何かを共有している状況を維持しようとします。しかし、残念ながら、誰かと何かを共有しても、この孤独感は埋まりません。心はまったく安心しないのです。
 
 メディテーションしている時に限らず、わたしたちが生まれた時も、この先に自分が死んでしまう時も「1人」で経験します。みんなで楽しくディナーをしている時のその幸福感や、料理を美味しいと思う気持ちも、わたしたちの個人的な経験です。また、趣味の仲間や仕事の会議でさまざまな目標に向かって、チームのメンバーと意識を共有できたとしても、その経験は個々人のものです。いつも独りなのです。

 私たちは常に孤独を感じています。そして孤独を感じると、それを忘れるように人と繋がろうとします。趣味に没頭したり、仕事に没頭したり、恋人を作ったりすることは、孤独を拒絶するための表現であることが少なくありません。

 チョギャム・トゥルパ・リンポチェは、『自分の孤独を認めず、受け入れないことが、世界の根本的な混乱の原因になっている』と言うこともありました。孤独を受け入れなかったり、孤独を感じている自分自身から逃げようとすることで、心の混乱が続くのです。

 メディテーションは、この孤独の感覚、独りでの寂しさを感じ、私たちは常に孤独感と共にあることをまず知っていきます。しかし、メディテーションでその孤独を感じている時、前回のブログで書いたように、そこに柔らかさや優しさの感覚があり、ほっと安心する感覚もあることも同時に感じることができます。

 メディテーションは、このように柔らかさ、安心を感じている時に同時に寂しさを感じるものなのです。これはメディテーションの最も基本系のマインドフルネス・メディテーションにおいても同様です。

 メディテーションは、孤独を経験し、孤独が悪いものではないことがわかり、そして徐々に孤独を受け入れる作業でもあるのです。そして孤独の感覚がわかればわかるほど、自分の中にある柔らかさ、安定した感覚や、何かの閉塞感から解放された広やかさも全く同時に培われていきます。

 私たちが孤独であることは避けられない厳然たる事実ですが、孤独と友達になることで、優しさや柔らかさを培え、自分の存在そのものを、混乱なく素直に認めることができるのです。「孤独は知恵の種」とも言われる所以でもあります。